で、あなたはどうする?

自分の人生は、未来は、自分でデザインする。悩みを勇気と行動に変えるライフシフト・コーチング

「陰」の部分を照らす

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こんばんは、ライフシフト・コーチのふみのです。

 

8月22日は、米国で皆既日食がありました。

日本では見られないので関心が薄れてしまい、すっかり忘れていたのですが、

この日からエネルギーレベルがとても高くて、朝からやるべきことをバキバキと片付け、それまで、なかなか一歩を踏み出せなかったことを始めました。

  

初めは「行動を起こした」ことに達成感を感じていたのですが、時間が経ってくると、今までなかなか踏み出せなかったもの、強い力で、私を引き止めていたものにあらためて気付かされた、そのことをより大きく感じています。

 

陰陽でいうと、陰の部分。行動したことが「陽」だとしたら、行動したことで初めて見えてきた部分が「陰」。強烈な太陽光ではわからない、月によってその光が遮られた瞬間に初めて見えてきた部分です。

 

 

「やりたいのに、なかなか一歩を踏み出せない」

 

実際のコーチングでもトップ3に入るんじゃないかという、このテーマ。

ここを深く探究するのは、正直、楽しいことばかりではないけれど、何か新しいことに挑む時、同じようなパターンに毎回はまっているとしたら、避けては通れない部分でもあります。

引き止めているものは、何なのか。

引き止めているもの=悪いもの、という考えを一旦、脇に置いて、

引き止めているものは、あなたに何を語りかけてくるのか。

その言葉に、あなたは何を感じるのか。

コーチングでは、じっくり見ていきます。

 

勇気を出して行動したことで逆に見えてきた、自分の思考のクセや、引き止めようとする強い力。

 

私は、星読みの知識は皆無なので、宇宙からどんなエネルギーが働いたのかもよく解りません。ですが、皆既日食の日に「たまたま」起こったイベントとしてはとても大きなものだったので、備忘録として。

 

 

気づきの朝を活用せよ!

こんにちは、ライフシフト・コーチのふみのです。

 

今朝、シャワーを浴びていたら、いろんなことが降ってきて気づきがあったので、自分への備忘録と称して全世界に一方的にシェアしますね。

皆既日食と興奮が通り過ぎた北米にも届け!日食グラスはもう外してええよ。

 

1.朝はアウトプットだ。

朝になると、「そうだ、あれやろう!」色んなことを思いつきます。頭の回転も早く、アイディアの湧き方が他の時間帯に比べて半端ない。

元々、会社員にとって朝は超・忙しい時間帯。家を出るまでは身支度、家事をマルチタスクでこなし、駅までの数分、満員電車の中、会社までの数分で、今日のタスク、会議の内容、メールの優先順位、来客の予定確認などを巡らせて脳は常にフル回転だった。逆に、英単語なんかはいくら良質な教科書を買っても、あまり脳に深く浸透していかなかったような気がします。私個人の感覚かもしれないが、朝はインプットに向いてない。

有名ブロガーさんの更新が朝に多いのも、脳が1日で最も活発になる時間帯を熟知して、そこにブログ執筆を当てるのは自然なことなんですね。

 

逆に言えば・・そんな朝のクリエイティブな時間を満員電車で過ごし、知りもしない他人に気を遣い押され、数分の遅れにイライラするという、脳を消耗するだけの生活・・してたんだな。orz

 

で、私はどうする?

 

ブログのネタを思いつくのも、ほとんどが朝です。なのでこれからは朝にブログを更新する時間を意識的に作っていきます。ここで重要なのは決め方ね。

 

× 「これからは朝書くぞ〜」

○ 「朝ご飯の後に1記事、書きたいことがあったら書こう」

 

これくらいゆるいほうが私の場合、逆にちゃんと習慣になることを経験済みです。

 

2.学びをシェアするのが、好きだ。

ずっとブログを書こうとは思っていたものの、自分が何を書きたいのかよくわからずモヤモヤしていたんです。美味い店の紹介なんて舌の肥えた人のブログを見たほうが早いし、ガジェットも別に詳しくない。が、これも今朝、降ってきたんですよ。

 

私は、人生に学びのなかった日などないというのが持論なんですが、それは、素晴らしいセミナーや本に出会った日だけに言えることではない。日々の生活の中から学びを「捕まえる」ためには、物事に対する「感性」を敏感にさせておく必要がある。「勉強になったな。ラッキー!」と捉えて次の行動に生かすか、何も気づかず感じずに1日を終えるかでは、人生は全く違うものになってくるんじゃないかな。

 

で、私はこうやって自分が学んだことや気づいたことをシェアしていくのが好きなんだとわかった。だって、一気に書けてしまうからね。

 

学びのシェアというと、「○○さんのセミナーに行きました!」なレポートみたいなものをイメージしがちだけど、そういうのは逆に、一緒にセミナーに行った人と知り合いになってお互いに共有して「へー!そういう捉え方もあるのか!」という発見やアイディアを見つけるのが好き。同じ映画を見て、お互いに違う感想を楽しむ、というものに似てるかな。

 

だから、「ブログに何を書いていいのかわからない・・」という人に、ブログ歴10日以内の私がドヤ顔で言えることは、「あ、これ書こう!」と思った瞬間に「ふんっ!」とそこで立ち止まって、「あ、私こういうことを皆に伝えるのが好きなのかも」と認識してみる。そして(メモるなどして)覚えておく、ということかな。

 

で、私はどうする?

 

これからも、このブログで学びをシェアしていくよ。こっちから一方的にな。

日々の中に埋もれている、小さな学びに気づける機会が増えたのも、コーチングを学び始めたお陰だと思っています。なので、これをみんなにシェアしない手はない!多分このブログの柱の一つになっていくんじゃないかな。

 

 

まとめ

私が全世界に向けて声を上げるのは朝だ。

ということがわかったので、時間に追われない朝の過ごし方をもっと探究したいし、逆にどれくらいの睡眠時間を取れば、もっと豊かな朝を送れるのか。そのためには前の夜にいつ頃、どんなことまでしておけばいいのか?を考えたくなる。まさに逆算思考ですね。

 

 

 

キラキラだけ語るSNS、やめます

こんにちは、コーチのふみのです。

 

今日は、珍しく挑発的なタイトルです。


これは、SNSでキラキラしている人たちへの嫉妬・・ではなく
(私もキラキラしたいもーん!キラキラ大好きw)
このブログの主である自分への戒めのつもりで、書いています。

 

このブログを読んでいるあなたは、すでに私が「コーチング」を仕事にしていることをお気づきかと思います、ありがとうございます。
えっ、知らないって!?

ガーン

その前に自己紹介ページ早よ作れや自分

 

ハイ、話を戻しますね。

 

私の仕事であるコーチングもそうですが、コーチ、カウンセラー、コンサルタントなどいわゆる「援助職」と呼ばれる職業の人たちの多くは、ブログやFacebookなど、なんらかの個人SNSを持っていることが多いです。今や、集客・広報のための強力なツールですから、使わない手はありません。このブログも、しかりですが。
さて、そういった援助職の人たちには、たまに浴びせらせる言葉があります。

 

「●●さんが、そんなキツい言い方するなんて・・」
「心を扱う仕事なのにそんな言葉を使うなんて・・」

 

援助職の中の人たちも人間です。

クライアントの「心」に触れる職業とはいえ、

スパルタな厳しい物言いを売りにしている人もたくさんいます。

激しい感情をむき出しにした文章を書いている人もいます。

それも、その人にとっては商品なのです。

援助職全員がそうすべき、というものではありません。

 

なぜ、援助職はキレイな言葉を選ばなくてはいけない、と思われているのか。


その人の、例えばコーチとしてのブランディングに影響する、などとビジネス的な、職業倫理的な答えを言うのは簡単です。

でもそれは、そのコーチが自分の頭で考えて、自分の仕事にどう影響するのか、使うか否かを決めればいいことなんです。ブログでキツい言い方をして、仕事の依頼が減って売り上げが落ちようと、その人の選択の結果というだけです。

 

援助職の人たちに対して、
「カウンセラーはこうあるべき」とか
「心を扱う仕事なのだから、言葉使いは丁寧でないと」とか
「クライアントも見ているんだから、そういう話題は慎むべき」とか
ご自分が「援助職の理想像」を勝手に作り上げているところ、ありませんか?
その理想像からちょっと外れただけで、勝手に怒ったり、落胆していませんか?

 

いいですか。援助職の中の人も人間です。
聖母マリアでも聖人君主でもありません。

 

もちろん、ブランディングを意識して、言葉づかいや写真の見せ方にも、厳しいポリシーを持って運営している援助職の人はたくさんいますし、逆に、投稿は愚痴や誹謗中傷ばかり、ネガティブな記事をシェアするだけの、読む人のエネルギーを奪っていくブラックホールのような人もいます。

 

いずれも、その人自身が決めてやっていることなのですから、それに対して「こうすべきだ」と他人が強要することではありません。不快な思いをしたくないと言うなら、「見ない」「距離を置く」「その人のサービス(商品)を買わない」と言う選択肢を取ることだって、今はいくらでもできます。

 


・・で、私はどうしたいの?

 

綺麗なことだけ、ポジティブなことだけ書くSNSは、やめます。

 

泥臭く、生き血が通ったブログにしたいのです。
だってそれが私という生きた人間を発信するメディアだと思うから。

 

ブランディングばかり意識して、ニコニコして、自分以外の誰かになろうとしてSNSをやっていても、結局は誰かと比較してばかりで、苦しくなるだけ。(過去にそれで失敗しています。なぜ失敗したのか、自分には何が合わなかったのか、ひたすら分析したから、こういう結論を出せたのです)

 

私はコーチですので仕事上、コーチングについて、心について、精神世界について書くことも多いですが、ここブログでは「当たり障りのない」とか、「無難な」とか、「優しい」言葉だけで盛るのはやめます。

 

だって、自分が面白くないから。

もちろん、コーチとして、物書きとしてのマイルールは持っています。

 

 

あなたは、自分のSNSが面白いですか?
ブログ書きながら「自分じゃない誰かになろう」としていませんか? 

 

 

メルカリで自分のサラリーマン体質に気づいた件

こんにちは、ふみのです。

 

何を血迷ったか、先週から突如メルカリに手を出し、

1週間で12出品、うち5品で取引完了(つまり売れた)、3万円以上売り上げました。

第1号はなんと出品20分後に買い手がついてびっくり。安くしすぎたのかな?と不安になったりもしました。

 

私自身、モノに対しては、かなりストイックな断捨離プレイヤー(自称:ダンシャリスト)だと思っていて、「家の中に、使わないモノ、要らないモノの居場所などない」思想の持ち主だと思っていたのだけど、メルカリを始めてみて気づいたのが、

 

  • 意外と「もう使ってないのに持っている」モノが、まだまだ家の中にたくさんある!(思想崩壊!笑)
  • それらは、結構いいお値段で買った「良いもの」(日本製とか、革製品とか、数量限定品など)は、私の数十回にもわたる厳しい断捨離をくぐり抜けてきた

 

ということでした。それなりのお金を出して買ったモノは、一度手にすると「一生モノだから大事にしなきゃ」「数量限定だったから、二度と手に入らないかもしれない」という、断捨離をくぐり抜けやすくする心理的作用が働きやすいんだな、と感じています。

 

 

さて、メルカリで取引をする際に重要なのが、商品に関する情報と並んで、出品者・購入者双方の「プロフィール」です。

プロフィールと行っても好きなものや趣味などを書く自己紹介欄ではなく、出品者である自分について、取引相手(になるであろう人たち)が知りたい情報は何か、を意識して書きました。

何をどう書くべきかなど「売るためのコツ」については、今回は省略します。というか、「メルカリ 売り方 コツ」などで検索すれば、メルカリを極めた人たちによる情報サイトが山のように出てきますよ。

 

この時、オークションも物販経験もゼロな私がやったことは、

「たくさん売れている出品者」を探しまくり、その人のプロフィールを真似した

ことでした。

 

ここで言う、「売れている」と言うのは、あくまで私の個人的な基準です。出品数もそれなりに多く、なおかつ最高評価(良い)をたくさんもらっている出品者、とざっくり決めました。取引をした人たちとのやり取りも見られるので、どんな評価をされているのかが、よりリアルに把握できます。

 

ここまで書かなくても売れるでしょ

でも、売れている人たちを見れば見るほど、彼らはプロフィール欄も、商品説明の欄も丁寧にビッシリと書いている。

取引回数が数十回、数百回にもなると、明らかにマナーの無い人、執拗な値下げ要求をしてくる人に遭遇するケースも増えてくるんだと思いますが、そういった人たちへの防御策もやんわりと、且つしっかりと、読み手の感情を損ねずにうまく書いている人を何人も見ました。

 

私はそれらを見て「物販で生計を立てている訳でもないし、ここまで丁寧に書かなくてもいいか」くらいに思っていたんです。それに初回でいきなり出品後20分で売れたりして、出だしが良かったので、「ここまでしなくても欲しい人は買ってくれるだろう」くらいにタカをくくっていた。自分でモノを売ることに対して、舐めていたんですね。

 

ですが、何人かと取引を重ねていくうちに、相手のプロフィールや商品説明を見ていて、やっぱり思ったのです。

きちんと書いている人の方が、安心してやり取り出来たし、実際の対応も丁寧・迅速。

中には、「宜しくお願いします」「要らなくなったので出品します」の一言しか書かれていない人もいました・・ でも、こういう人から「買おう」という気にはなれないんですよね。

「この出品者からなら、買ってもいいかな」と思ってもらうために、最低限やるべきことはあるよな、と反省しました。

 

それからは、プロフィールは「どこから発送するか(→送料に関わってくるからです)」自宅での保管状況などをちゃんと書き、出品中の商品情報の書き方にもポリシーを作って、詳細に表記するようにしました。タイトルの付け方にもこだわった。

 

その結果、ガラッと売り上げが変化したわけではありませんが、商品への「いいね!」が増え、問い合わせのコメントも頂けるようになりました。これまでにトラブルはゼロです。

 

そして・・はじめ自分の中にあった「出せば売れるだろう」「待っていれば誰かに見つけてもらえる」の考え方に、どこかでデジャヴを感じたのです、あまりにも自分の中に自然に染みついている感があったので。

 

 

これって、

黙っていても毎月お給料が入る 感覚に似てない!?と。

ガーン

 

毎日出勤して、最低限与えられた仕事をしていれば、毎月決まった日に、お給料が入るのは当たり前。もらえて当たり前。

 

自分からは最低限の情報しか出さずに、受け取ろうとだけしていた 

物販業じゃないし、とか斜め上な言い訳をつけて、自分は最低限の情報しか出さずに、「誰か買ってくれないかな〜」と指をくわえて待っていたようなものです。

物販や営業経験もゼロ、研究職でぬくぬくとサラリーマンをやってきた私は「売るためにはどうすれば良いか」を考えたこともなかったのです。

マジ、反省。orz

 

たかがフリマでしょ、と思われても結構。

 

でも、社名や肩書きを全て取っ払って、自分の名前だけでモノを売ることの大変さ、やるべきことを身にしみて感じられた経験は、私にとって売り上げ以上に大きな収穫となったのです。

 

 

・・なぜ、ここまで「自分で売る」ことにこだわっているのかというと。

私は、今はサラリーマンやってますが、もう「自分の名前で食っていく」ことを決めているからです。そんな自分や、自分の商品を世に知って頂き、買って頂くためには、ちょこっとSNSで自己紹介や商品紹介をして、あとは壁の陰から指くわえて待ってる、「早く誰か申し込んでくれないかなー」的な姿勢じゃ絶対にダメだ!と痛烈に感じたからなんです。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。 

 

 

 

 

 

 

「断捨離」で人生を変える(1)ー買い物編ー

自分が断捨離という言葉と出会って3年になります。きっかけは一冊のこの本だったのですが、誰でもできることを身をもって体感し、「片付け術」を軽々と超えたところにある、その理論の奥深さに魅了され、今では勝手に「自称・ダンシャリスト」を名乗っては、モノの多い世代である親を中心にせっせと布教活動をしております(笑)

「断捨離」=「とにかく捨てる」にあらず! 

こんまりさんの片づけの理論も素晴らしいのですが、断捨理は捨てること、片付けることにとどまりません。自分とモノとの向き合い方から始まり、自分と他人、ひいては自分の人生と向き合うことにつながっているため、人生を見つめるヒントを捜していた自分にとっては、やましたひでこ氏の理論が感性のレベルで「しっくり」きた感じです。ただ、「自分軸で動く」「自分の感性に従う」という根っこの部分で、こんまりさんの理論と断捨離は共通しています。
 
さて、断捨離と聞いて「モノに溢れた家に住む主婦が、泣きながら大量にモノを捨てる」というTV番組のイメージをお持ちではないですか?
ここでは断捨離とはなんぞや、について詳しく述べることはせず、手っ取り早く、私が断捨離に目覚めて今日までに、意識レベルで「変わったこと」を書いてみたいと思いますので、ご参考になれば幸いです。まずは、我々とモノとの最初の接点である「買い物編」から書いてみます。 
 

流行りだから、買う? 

お店で、ある服を手に取ったとしましょう。
今のあなたはどちらの気分ですか?
流行りだから、同性・異性ウケが良さそうだから、欲しいのか(他人軸)、柄やデザインに心から惹かれるから・着た時の自分を想像しただけでワクワクするから欲しいのか(自分軸)。
これが売り場でも自問自答できるようになって、無駄な買い物は本当に減りました。もちろん、その年にたまたま流行っている柄やデザインが、ものすごく自分の好みだったから、結果的に買った!というケースはあります。でも、何となく出かけて、自分軸に従った結果、何も買わずにデパートを後にしたときの爽快感もたまりません(笑)。
 「自分軸に従った!」という自己満足は、つい何となく買ってしまった、大量の紙袋と共にデパートを後にする時の一時的な充足感よりも、はるかに気持ちが良いものです。
 

安いから、セールだから、買う?

断捨離で自分のモノと向き合ううちに、セールなどの安売り時に買ったモノの多くは、手放すまでの時間が早いことに気づきました。その違いは結局、本当に欲しかったから買ったのか、「セール品」というお得感を味わいたくて買ったのか、というところに突き当たります。定価であっても、本当に心から気に入って買ったモノ(特に服など)は、かえって大事に長く使うようになったケースが多いのです。
 
オマケや「全員にプレゼント!」な景品の応募シールのために、たいして飲みたくもないジュースやパンをせっせと買うようなこともなくなりました。
本当にそのお皿が必要なのか、
ポイントを溜めてゲットした物!というネタが欲しいのか、
欲しいものの為に、コツコツためた自分ってすごい!と思いたいのか、
を自問自答していくうちに、自然とやらなくなります。
 
また、1週間単位で繰り返し買いに行くような、頻繁に消耗するもの以外は、まとめ買いをしなくなりました。
例えば、1個400円のものが、3個で1000円!とか言われても、1個買えば済むところを、3つも買って結局1000円も払っている、という思考になります。「ケチ」と言われようが、それでお金と収納スペースの節約にもつながるんだし、自分軸で決めたことなんで、他人が何を言おうが気になりません。
 
旅行先でも散財しなくなったのも大きいです。その土地に一軒しかない土産物屋だろうが、免税店だろうが、せっかく来たんだから、という気持ちをコントロールでき、本当に欲しいものがある時だけ買うようになりました。さらに、人へのお土産についても「この人にはこれをあげたい!」というモノ以外、一切買わなくなった。お付き合いや休暇への罪滅ぼしのように買う「会社へのお土産」も、一切なくなりました。
 
でも・・ケチと思われたり、言われたりするのが嫌だって?なるほど。社会・他人の目や声に惑わされず、「自分の感性に従い、自分で決める」ことができるようになる「自分軸」が強靭になってくると、人間関係の断捨離もできるようになってくるんですが、そのコツについては別の回で書きますね。
 

「一生モノ」にこだわらない 

気に入ったモノだけを長く使うようになった一方で、「一生モノを選ばなくては」という考えにとらわれなくなったことは大きいです。年齢やライフスタイル、周りの環境が変わっていけば、自分の価値観も変化し、好みも変わってくるのが自然。なのに、自分の持ち物の全てを今「一生飽きずに使えるモノ」にしようとすると、品質にこだわって高い出費になるだけでなく、デザインも無難すぎて面白くなくなってしまい、結局飽きて、使わなくなってしまうんです。いつの自分の為に買ったのかわからないし、これではあまりにも勿体ない。
 
今年、ガチで気に入って買ったスーツやワンピースは、来年飽きているかもしれないけど、それも自然なこと。来年は来年の自分が、そのとき心から欲しいものに出会っているかもしれないのです。それでいいじゃないですか。「今、自分が好きなもの」を今、思う存分使ったり、着ている自分のほうが幸せなのは確かです。
 
また、「一生モノ」と並んで、「高かった物」「ブランド物」は、使っていないのに手放せないことがあります。何度となくクローゼットから出してみたけど、手放すには踏み切れない。その原因は、「今、これを手放したら、自分は二度とこのような素晴らしい物を手に入れられないかもしれない」という勝手な思い込みで、自分の未来を勝手に暗くしていることだと気づきました。
 
正直なところ、今の自分でも、毎回サクサクといけるものではないです。が、この考えのクセに気づいてから、「高かったか否か」ではなく、使うのか・使わないのかの判断で、手放すか、持ち続けるかを短時間で決めることが出来るようになり、悩む時間が確実に減ったと感じています。実は、この「悩む時間」がクセもの。悩むことは脳のエネルギーをすり減らしますが、決断までのスピードを早めていけば、脳のエネルギーを他のことに使えるというもの。この決断力とその速さが、捨てる捨てないだけでなく、生活の色んな所に活かされてくるんです。
 

モノの断捨離から、人生の断捨離へ

ミもフタもない言い方ですが、長い目で見れば、この世の全てのモノは消耗品です。それが数日なのか数十年なのか数世紀にわたるのか、という違いだけ。持ち主である人間は、常に変化しているのですから、「持ち続けるか、手放すか」という選択肢は、常にあって当たり前だし、そこで素直に向き合えるようになることが、断捨離の目指すテーマの一つでもあると思っています。
 
それは必ずしも「モノ」にとどまらないところが、断捨離。モノで出来るようになると、人間関係や生活、人生への考え方にも応用できるようになるのが、断捨離の奥深いところ。私は今でも断捨離中ですし、まだ「極めた」だなんて思っていないし、これからも続けていきます。断捨離は、一度やってハイ終了、ではありません。点ではなく線でやっていくもの、続けていくものなんです。私は、モノから断捨離を始めて、マインドが少しずつ代わり、人生もこれまでになく大きく動き始めました。そこに年齢や性別は関係ないと思っています。
 
断捨離を通して私が変わった「モノ以外」の部分についても、これから少しずつ書いていこうと思います。が、御大の本を先に読んでみたいという方は、冒頭で紹介したこちらをどうぞ。写真や例が多くてオススメです!
 

私が体現したいこと

こんにちは、コーチのfuminoです。
 
Facebookの「過去のこの日」を見たら、
2年前、2015年4月18日は、タイ・バンコクへの弾丸旅行で盛り上がっていた(笑)
4月は、タイが一年で最も暑い時期。
熱帯の、あの気だるい、ジリジリとしたエネルギーを感じたくて、
「今だ!」と思い立ち、一晩で航空券とホテルまで一気に予約完了したのを覚えている。(この時、出発10日前!)
18日は、まだ出発まで1週間あるから、特に写真もない投稿なのに、
「旅立つ前」のワクワク感だけがジリジリと伝わってきた・・!
今日、それを感じながら、思ったんです。
 
・・ああ、この「旅立つ直前」の感覚、好きだったな・・・!
 
2015年は、バンコク旅行がトリガーを引いたのか、
今までにないほど濃い一年になった。
4月に旅行していた時は、そんな山あり谷ありな年になるとは、
思いもよらなかったけどね。
(それも今度話しますね!)
 
 
「体現」という言葉が出てきたので、私は「何を体現したいのだろう?」と考えてみた。
・・というか、もう答えは自分の中にあった(笑)
 
私は、「旅立つ前」のワクワク感をたくさん感じる生き方を体現したい!
 
 
ゴールデンウィークみたいに、カレンダーに縛られて
大混雑と高い料金で消耗しながら一年に一回・・などではなく、
 
「好きな時に、好きな場所に旅立ち、出会い、学び楽しむ人生」を体現する。
 
2年前の旅の思い出が、今日の私にそんな気づきを与えてくれた。
タイは、あのワクワク感を思い出させてくれる場所になったんだなあ。
 
来年の今頃は、もう東南アジアにいる気がしてきた・・・!!
 
 

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チャオプラヤ河から眺めるワット・アルンラーチャワラーラーム

それを「通過点」などと言わず、味わえ

人生の節目に差し掛かったとき、それがその人の意思によって迎える節目ー
例えば実家を出て一人暮らしを始める、結婚、出産、会社を退職して起業するなどー
であっても、その先に始まる新たなフェーズの前に立つと、様々な感情に振り回されることがある。
・・・早い話、今の自分がそうだ。
ボーッとしているようで、常に何かをぐるぐる考えている。
あれもしたい、これもやりたい、やらなきゃ・・
色で表すと「玉虫色」、不快ではないがカオスだ。
具体的に何のライフイベントを迎えるかは、当該イベントが済んでから書くとして、
この、フェーズが変わる直前に立つ気持ちは、
人生の中でも何回もやってくるものではない大変貴重なものだと、人生の先輩方に教わったので、備忘録も兼ねて書いてみた。
記念すべき初のMacBook Proによる執筆!(笑)
 
 

今の自分に起こっていること

一言でいうと「発散状態」。
例えば、私は毎朝仕事に取り組む前に、会社のスケジュールを立ち上げ、
前後日の予定を見ながらフランクリン手帳にToDoを書き込んでいくのだけど、
この時、家事やプライベートのToDoまで溢れるように出てくるだけでなく、
これからやってみたいこと、新しいアイデアなどまで、とにかくどんどん思い浮かんでくる。
直感を大事にすることがモットーであるため、思いついたらその場でメモ主義。そんなこんなで、朝の時点で、手帳のその日の分が半分以上埋まってしまうこともあり、
うつ病で言うところの躁状態なんじゃないのか」と不安になったこともある。
そんな感じだったので、ここ1ヶ月ほど、特にデスクワークにはあまり集中できなかった。
ちなみに、食欲などの身体症状については、特に異常はなかったと思う。
今冬は某コンビニの「練乳クリームフランス」を狂ったように毎朝買って食べているが、糖分の摂取量が増えるのはこの時期特有のもの(これは要改善!)。
 
 

分析:Doingにフォーカスしすぎる傾向、Beingが置き去りに

次から次へとやりたいことが思い浮かぶ根源をぐっと掘り下げてみた。
おそらく「次のフェーズへの不安と期待」である。
今年から来年にかけては、プライベートでも、仕事においても大きな節目を迎えるので
(いずれまた同じような現象を味わいたいかは別として)
「不安」をたくさんのDoingで埋めることで自分を安心させ、
たくさんのDoingで「期待」を目に見えるカタチにすることで、
自分を安心させたかったのだろう。
つまり私は「安心したかった」のだ。
 
不安を感じている場合ではない。
期待に浮かれている場合ではない。
私にはやることがある。
決めた目標まで、あと1年しかないのだ。
 
この思考回路になると、確かに物事は気持ちがいいくらいに片付き、進展する。
でも、ふとした時に、もの凄く「ぐったり」している自分がいたのだ。
休みの日になると、平日とは打って変わってToDoに手を付けなくなり、
お風呂に長めに入っても頭はぐるぐる回ったまま。
鍼灸師には「肩から背中全体がガチガチ」「呼吸が浅い」と言われる始末。
 
「あぁ、不安なんだな」
「ワクワクしているんだな」
「怖いんだな」
「安心したいんだな」・・・
 
自分の感情や感性を受け止める余裕がなかったのだと思う。
出てきた感情や感性を味わうことを自分に「許可」していなかった、とも言える。
そういえば、街中で沈丁花の香りに気づくのも、例年よりだいぶ遅かった。
 
 

これからどうする

何か「新しいことをやる」訳ではない。
あと数日、この貴重な日々に身を置く自分を、
まずは「味わいつくす」ことにした。
五感、どうせなら第六感も自由に開いて、
自分の中に湧いたものを口に出して「言葉にしてみる」のもいいだろう。
その場で書いてみるのもいいだろう。
・・とやっていると、またアイディアが泉のように湧き出るのだけど(笑)
 
特に大事にしたいのが、それをパートナーにも伝えてみること。
実はこの部分も、この1ヶ月ほど、疎かになっていることに気づいた。
共に迎える節目イベントなのだから、感じていることは自分と似たようなものだろう、
ならばあえて言うまでもない、と勝手に思い込んでいたのかもしれない。
感じるところが違うなら、それをお互い見せ合うのも
学ぶことは多いし、何より楽しいはずだ。
これからもお互いの「発掘」をやめないこと。楽しむこと。
知り尽くした気になって、スコップを手放さないことだ。
このことは次のフェーズを歩んで行く上で、大きな要になると感じている。
 
 
まずは、味わい尽くそう。